暴威列伝番外編

         〜中学高校→大学1年編〜

番外編〜第1話〜

ケイスケは中学時代は1年までB'zにはまっていた。しかし1年後期に自身にとって衝撃的なバンドを知ることになる。そのバンドこそ「LUNA SEA」である。「何だこの歌唱力とかっこいい曲は」と完全に虜になってしまう。この時代ケイスケには歌を歌う時間というものがあり毎日自分の部屋に部活(サッカー部)が終わるとこもり自分が持っているCDをひたすらかけポップスからロック、バラードまで約1〜2時間歌っていた。とにかく歌うのが好きだったようだ。とにかくまねをするというかいかに同じように歌えるかという練習をしていた。これは大分後になって非常に効果的な練習方法であったことを知る。この時ケイスケは楽器を持っていなかったので歌うしかなかった。いつかバンドを組んで見たいと思っていたがその思いは漠然としていてめどは全くたっていなかった。ただ学園祭などでライブをやっている人を見ると羨ましいなぁと思っていた。音楽的活動を一切しないまま中学を卒業することになる。

 

番外編〜2話〜

ケイスケは高校に入学した。入学当初は音楽をやろうとはあまり思っていなかったうようだ。いつか必ずやろうとは思っていたようだが。音楽の世界でプロになれたらいいなと漠然と思っていた。しかしやはりめどは何も立てず自分から行動を起こそうともしなかった。そしてケイスケは陸上部に入部する。強力な新人が入ったと喜ばれた。足は結構速かった。そして部活詰めの日々が始まるが徐々に音楽への関心が高まっていくことになる。以前から「ギターってかっこいいな。これ弾けたら最高に面白いだろうな」と思っていた。その波が自然と高まっていくことになる。あと高校1年の時に友達のS君からエックスの音源を聞かされた。俺は当時エックスはヴォーカルの声が変だと思っていて全く聴く気を起こしていなかった。ところがその時初めて気づいたが演奏がものすごかった。「何だこの速さと激しさは。今まで聴いたことがない。ドラムとギター特に凄いな」と演奏のことなど何もわからずにそう思っていた。そして中古CD屋でエックスのCDを2枚ほど購入する。ついでにその時布袋寅泰のCDと尾崎豊のCDも興味があったから買ってみた。小学5年生辺りから気になるCDは買いあさっていた。中学辺りから藤井フミヤなどは結構好きだった。もちろん何よりハマっていたのは「LUNA SEA」であったが笑 
そして高校1年の2月頃ギターが欲しいという気持ちが急に激化し横浜のギター屋に直行。欲しい形は決まっていた。ストラトキャスター。しかし当時はこの名称は知らず丸いギター(レスポール)と少しとがったギター(ストラト)の2種類があるということくらいしか知らなかった。そしてとがっている方がかっこいい。こう思っていたのである。そして手ごろなギターを発見する。ボディが赤いとがったギターである。俺は当時赤い色が大好きだった。「これ最高にかっこいい!!」と思い即購入した。 メーカーはFERNANDESというメーカーだった。なんとなく名前がかっこいいと思ったので満足だった。このギターの値段は3万ほどだった。恐らくお年玉を全額投入したのだろう。当時バイトをしてなかったケイスケが3万も持っているのは考えにくい笑 こうしてケイスケは「弾けたらかっこいい」という単純な理由でギターを購入した。続く…。

       

番外編〜3話〜

こうしてギターを購入したケイスケはギターを始めるわけだが、入門書を2冊ほど購入した。基礎のみが載ってるものと多少の応用が載っているものとである。これをいい具合に使い分け練習していった。ちなみにこの応用編に載っていた課題曲は難しすぎて手をつけることが出来なかった。それはそのはずである。何せその本に載っていた課題曲はMR.BIG、スティーブ・ヴァイ、ヴァン・ヘイレンらの曲であった。真っ黒で何がなんだか当時理解することすら出来なかった笑 未だに手をつけていない笑
基礎の本を使いまずはCコードと書いてあるものの位置を抑えてみた。妙に窮屈というか抑えるのに力が必要だった(無駄な力入りまくり)。「うわーこれは大変だ」とケイスケは思った。弾いてみるとペコンといった。「こりゃあダメだあ。」と思い、思い切り指を立ててみた。すると綺麗に音が出た。おっ!これはいい!と思った。そしてかなり簡単なローコードを3種類覚えスリーコードで曲っぽく弾いてみた。意外にいい感じだった。「俺にもギターが弾けるぞ」といきなりギターの楽しさを感じていた。そしてローコードを数種類覚え曲にチャレンジする。曲目はスピッツの「空も飛べるはず」。教則本に載っていたものだった。これを辛くもクリア!そしてしばらくこの曲を弾き込むことになる。俺にもできるぞーと意気揚々とし楽しさはかなりのものだった。しかしそんなにギターという楽器は甘いものではなく壁がやってくる。Fコードの出現である。「これは難しそうだ」と思った。何せ人差し指で1フレット全部を抑 えなければならない。そんなこと出来るのかと危機感を覚えた。抑えてみると…

い て ぇ ! ! !

人差し指に弦が食い込み抑えては見たものの弾いてみると音はペコンペコン…。これはきついとさすがに参ってしまった。教則本にギターで挫折する人はこのFコードで挫折する人がほとんど。これを乗り切ろう。見たいな事が書いてあった。俺 はこれに屈してはいけないと必死に練習した。その練習が功を相し練習を開始してどのくらいの日々が経過していたのかは覚えていないがしばらくしてFコードの攻略に成功する。この時ケイスケは「俺ってまさか凄いんじゃないか?」 と大きな勘違いをしていた。おめでたいものである。そしてケイスケはバンドスコアを購入することを決意する。
初めて購入したスコアはラルクの「single collection」だった。よーしやるぞとスコアを開くとその譜面は謎めいていた。そしてこう感じた。

何 だ こ れ は 難 し す ぎ る ! ?

そして速攻で挫折する。これは今俺が弾けるレベルではないと感じ一週間後CD屋に直行。そして購入したスコアがLUNA SEAの「SINGLES」だった。スコアを開いてみるとなんとなく弾けそうだった。そして練習を開始する。最初に練習を始めたのはそのスコアの1曲目に載っている「BELIEVE」という曲だった。
この頃は結構なバンドブームで俺の周りの友達はギターやらベースやらを始めているやつが多かった。そしてその一人が同じ陸上部に所属していたG君だった。そのG君のコメントにこういうものがあった。「ギターってギターソロが弾けるようになると最高に面白いぞ」。なるほどギターソロか。と思い早速「BELIEVE」のギターソロを弾いてみた。すると相当お粗末だったのは当然だがこれが弾けたのである!?「うわ、これおもしれー」と感じたケイスケは窓を全開にして「BELIEVE」を弾いた。なんて近所迷惑なやつだろう。しかしケイスケは大満足だった。「これは面白すぎる」。そしてよりいっそう練習に励むようになる。そして「BELIEVE」が弾けるようになったケイスケは次に大好きだった「ROSIER」という曲を練習していくことになる。

ケイスケはある日G君に「うちに遊びにこないか?一緒にギターを弾こうよ」といわれG君の家に行くことになる。ケイスケはここで恐ろしいほど衝撃を受けるものに出くわすことになる。続く…。

          

番外編〜4話〜

さあG君の家に着くとまず部屋に案内された(それは当然だろう)。そしてまず中型のミニアンプが目に飛び込んできた。「俺のアンプより全然でかいなあ」と思った。それはそのはずである。ケイスケの使っていたミニアンプはアンプの中でもっとも小さい部類に入るアンプで高さ10cm、幅8cm、奥行き5cmしかなかった。超ミニアンプである。そしてG君はなんかよくわからない複雑なボタンが沢山ついている平たい機械をアンプとギターの間につないでいた。「いったいなんだろうこれは」。ケイスケはそう思っていた。そしてG君に音を出してもらった。

ジ ャ ー ン ! ! !

「な、なんだこの音は!?かっこよすぎる!?」とケイスケは思った。それはそのはずである。ケイスケはアンプ直で音を出している。しかもしょぼーいアンプである。初めて鳴らした時はチャランとクリーンな音が出て「あぁジャーンていうかっこいい音は普通には出ないんだ」と初めて知った。まあそれは仕方ないだろう。そしてこのアンプにはオーヴァードライブのチャンネルがついていた。ODチャンネルにすると少し歪んだ音が出た。「あーこれはいい」と基本はODチャンネルで練習していた。ところがG君の音は半端じゃない。完全にロックしている激しいディストーションだった。それに驚いているとG君はその機械のペダルのようなものを踏んで音色を変えディレイや綺麗なクリーンサウンドを出して見せた。俺はこの機械に恐ろしいほど興味を持つことになる。そう。これがケイスケとエフェクターとの初対面である。このエフェクターはZOOM2100というエフェクターでこれ一つで沢山の音色がだせる「マルチエフェクター」という種類に入るものであった。しかしケイスケはこの機械のことをG君に何も聞かなかった。何故だろう。思い出せない。しかしケイスケはこの機械がたまらなく欲しくなってしまった。「この機械があれば出したい音が全て出せるのか!?なんてとんでもない産物なんだ。これは手に入れるしかない」。そしていてもたってもいられなくなってしまったケイスケは数日後地元の楽器屋に直行することになる。

さあケイスケは一体何を購入するのだろう。いや購入するのか???

 

番外編〜5話〜

ケイスケは地元の楽器屋に着いた。ギターやエフェクター、アンプなどがそこそこおいてある楽器屋だった。そこでケイスケの目にまず飛び込んできたのは中型のミニアンプだった。どうやらギターとベース両方使うことが出来るらしくギター用とベース用でジャックが2つついていた。値段は40%オフされていて6000円程だった。「ギターとベースが両方使えてこの大きさでこの値段!?安い!!!」。ケイスケはこのアンプを買うことを決意する。そしてケイスケはエフェクター売り場に移動する。するとショーケースの中になんとZOOM2100を発見!?しかもエクスプレッションペダル(ヴォーリュームペダルやエフェクターに入っているワウやワーミー等のエフェクトを操作できるペダル)付きで14000円程だった。「G君はこのペダルは持っていなかったなぁ。これもセットとあっては買うしかない!!!」。こうしてケイスケは有り金をすべてはたきアンプとエフェクターを購入した。このZOOM2100というエフェクターにはペダルが3つついていてディストーション、ディレイ、クリーンなどに設定することが出来かつそれを瞬時に切り替え演奏することが可能だった。さらにアンプが以前のものより格段によくなりエフェクターの音も当時としては衝撃的で音が恐ろしいほどよくなりギターの面白さは一気に飛躍することになる。そしてよりいっそう練習に励むことになる。ケイスケは特にディレイの音が特に気に入ることになる。空間的な感覚とサスティーンの虜になってしまう。この頃になるとコピーをする速度も上がってきて少しするとLUNA SEAとラルク合わせて10数曲が弾けるようになっていた(もちろんしっかりとした演奏は出来ていなかったが)。そして本屋に通い始める生活が始まることになる。それは何故かというとスコアの立ち読みのためである。ケイスケは部活が終わった後予定が無い日は必ず本屋にいっていた。そして弾きたい曲のスコアをみて少しずつ暗記。そしてイントロ、Aメロ、Bメロ、サビといった具合に少しずつ日によって覚えて帰り家で練習していた。そしてその方法で数曲をコピーしたのである。今考えると凄いことをやっていたなと思う。耳コピが出来なかったからそういうことをしていたということもあるがいってしまえばよほどお金が無かったんだろう笑
そしてこの後かなり先まで全くやろうとしなかったテクニックがある。それは「ブリッジミュート」。ケイスケが練習する曲の中にほとんど登場することはなかったがごくたまに登場した。そのMのマークをみるなり「何だこれは?やる必要なし!」とばっさりと切ってしまった。この後しばらくの間ブリッジミュートのやり方を知らなかったしやろうともしなかった。完全にT(たいがい)である笑
ギターについてばかりコメントをしているがもちろんこの頃も歌の時間は健在であった。ギターを一通り弾き終えると歌を歌っていた。

そして高校2年の11月頃にG君にある誘いを受けることになる。G君は「バンドを一緒にやらない?ヴォーカルをやって欲しいんだけどどうかな?」といってきたのである。本当に大した話ではないがケイスケという人物の歌はごく一部の地域(地元の高校数校のごく一部の人達)の間で多少の評判を有していた。そしてG君とは何度かカラオケに行ったことがあったためそこでピンときたG君が組んでいたバンドのメンバーに話し勧誘に至ったらしい。ケイスケからしたら願ってもいないことであった。「バンドが出来る!!」。ケイスケの胸は大きく高鳴った。こうしてケイスケはG君の所属するバンドに加入し活動していくことになる。このバンドはどのような活動を行っていくのか?そしてどのようなことが待ち受けているのであろうか??

         

番外編〜6話〜

ケイスケはこうしてバンド活動を開始した。バンドのメンバーは俺がヴォーカル、G君がギター、そして同じ高校でG君の友達のT君という人がベースでまたそのT君の友達で1個上の兄ちゃんという人がドラムだった。

そのバンドの初練習のためケイスケは初めてスタジオに行く事になる。その練習場所はP会が定演で使用している上大岡の「ひまわりの郷」というところであった。ここにはバンド練習ができるリハーサルスタジオが2部屋あった。ギターアンプはかなりしょぼかったことを覚えている。ベーアンは大きめだった。値段は恐ろしいほど安く確か6時間で一人700円ほどだったと記憶している(ありえねー安さ笑)。普通のスタジオなら3時間で一人2000円は取られる。このことからどれほど安いかおわかりいただけるだろう。まぁ区の施設だからこのような破格な価格設定もありえるのだろうが。

このバンドにはバンド名がまだなかった。そこでまずバンドの名前を決めることになった。兄ちゃんが「カルーアっていうのはどうかな?」といいだした。カルーアとは酒の名前らしい。当時ケイスケは知らなかった。そしてちょっとこの名前おしゃれだなと思った笑 メンバー一同「いいんじゃない?」。あっさりとバンド名は確定した笑 この頃俺は弾き語りも出来ないのに必ずスタジオにギターを持っていっていた。これは完全にバンドマン気取りでギターもって歩くのがかっこいいと思って持っていっていた。でも本当に弾き語りがゼロだったわけではなくて後にラルクのHoneyをコピーした時に弾き語りをしたのだが笑 このバンドはまずコピーバンドから始めていくことになる。最初は「LUNA SEA」「ラルク」「グレイ」といった当時3大バンドといわれていたバンドのコピーを行った。コピーを行った曲の数はかなり膨大なので一部しか紹介できないが「BELIEVE」「ROSIER」「Honey」「HEAVENS DRIVE」「シャッタースピーズのテーマ」「SOUL LOVE」などを最初の方にやった気がする。このHoneyの演奏でケイスケはとても基本的なギター演奏方法を教えてもらうことになる。それは「空ピッキング」。それまで空ピッキングを知らなかったケイスケはHoneyのテンポに乗ることに苦戦していた。そこでギターもできるドラムのにいちゃんに「ヨシザワくん、からピッキングすればいいんじゃないの?」といわれ何それと思ったケイスケは「なんですかそれは」と聞いた。すると「こうだよ」と教えてくれた。そのやり方を無意識にやったことのあったケイスケは意外にすぐにその方法をマスターする。するとどうだろう。凄く弾き方がプロっぽいしリズムに合わせやすい!?

「 何 だ こ の 弾 き 方 ! ? 超 か っ こ い い し 弾 き や す い よ ! ? 」

ある意味で革命的な出来事だった。このあと大量にコピーを重ねていくのだがある時期にこのバンドが大きく変革することになる。カルーアはどうなってしまうのであろうか???はどうなってしまうのであろうか??? 

         

番外編〜7話〜

カルーアはライブに向け大量にコピー曲を増やしていくことになる。アーティストでいえば6話で紹介した3バンドに加えhideやpierrot、ハイスタ、ドラゴンアッシュ、スネイルランプ等のコピーをしていた。中でもLUNA SEAにおいては10曲以上コピーした覚えがある。

そんな中、陸上部の練習中にGくんから今後オリジナル曲の製作をしていくことを告げられる。そしてGくんの話では「うちのバンドはパンクロックらしいよ」と言われた。ケイスケは「パンク?何だそれは。パンクロックだろうがロックはロックだろう」と思い、「あ、そうなんだ」と軽く言葉を返した。この時の自分の無知さといったらないが昔のことだしまぁいいでしょう笑 
この時ケイスケは陸上部で部長を務めていた。結構頑張っていて800mと1500mの通っていた高校の高校記録を持っていた。大きな大会でなかなかの順位まで食い込んだこともあった。しかし全国レベルの選手と走った時、足元にも及ばなかった。わかっていた結果ではあったが非常に悔しかった。

カルーアはオリジナル曲を製作していくことになるがここでパンクというジャンルを知らなかったケイスケに付けが回ってくることになる。

自 分 の 案 が 通 ら な い ! ?

ケイスケがオリジナル曲を作ってる最中に「こういうフレーズはどうかな」と提案すると「このフレーズはパンクじゃないな」とことごとく跳ね返されてしまった。「パンクって一体何なんだ。少なくとも自分のやりたい音楽ではない」と思った笑 しかしこの時はコピー曲が中心だったので対して苦にはならなかった。パンクという音楽がどういうものかも徐々に理解していくことになる。しかしこの時カルーアが作っていた曲を思い返すとパンクというよりはPOPSだった気がする笑 なんだかんだで2曲のオリジナル曲が完成した。
この頃からGくんのLUNA SEAの曲のコピーの完成度が落ち始める。バンド内の問題にまで発展した。GくんはGLAYが大好きだったためLUNA SEAをそっちのけで練習してしまっていた。LUNA SEAの曲ばかり練習していたケイスケは「これなら俺のほうがうまく弾けているな」と少しがっかりしていた。Gくんは当時自分には全く理解不能だったライトハンドという大技を決めていたがLUNA SEAは本当にさっぱりだった。Gくんはどこかバンドのテンポに乗れないところがあった。恐らくリズム感が甘かったんだと思われる(かといってケイスケもリズムに関しては甘かったとは思うが)。この後メンバーの呼びかけで多少ましにはなったが。この頃合わせていた曲は20曲を越えていたので覚えるのも一苦労であったとは思う。何だかんだいってもバンドの息は合ってきていたと思う。そして2000年、ミレニアムと言われた時代の7月にライブを行うことを決める。ケイスケは「ついに来たか!」と思った。そしてひまわりの郷の小ホールを押さえることになる。そして手作りでチケットを大量に作成(何か高校生らしくてかわいい笑)、配布したのである。

そして2000年7月20日(海の日)にカルーアはついに初ライブ{FIRST IMPACT}を敢行することになる。どのようなライブが展開されたのであろうか???

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